実のところ
こう見えて、30代のったころ
臨床心理士とともにカウンセラーとして
働いていた事があります。
しかもそのカウンセラーとは、
綺麗な花の飾ってあるカウンセリングルームで高額のカウンセリング料を貰って
”クライアント中心療法”とかいって
100%あなたのお話を受け取っていますよ”!! という”傾聴” する
いってみれば、
汚れを吸い取る
”人間スポンジ”や”人間壁”
役ではなく、
”一緒に死に方を考えてください”
””わかりました、(喜んでー!くらいなノリで)一緒に
死に方を考えましょう!””
という類の共感的カウンセリング、、、それを発展させると
戦略的カウンセリング になるのですが、
全国からの死にたい人電話カウンセリングを喜んで受けていました
ところが段々 喜んで受けている自分が
おかしい と気づき始めた のは
身体の具合が悪くなってからです。
実際に日本で”心の病”という言葉が
出回り始めた頃
自分は大学院博士課程を出ておらず
ある学校から入試の資格は与えられましたが、先ず経済的に無理でした。
臨床心理士になるためには修士のみならず博士資格が必需です。
社会福祉士や介護福祉士という国家制度が導入されたと同時に大学を卒業する組で大学卒業と同時に資格がもれなくついて来る時代ではなく
国家資格を後付けする学年でした。
それならと一足飛びに
世の中から、
出家(洗礼をうけ)、宗教(教会)に就職
24時間路上生活を余儀なくされている方々の皆さんや、
彷徨う人々にドアを開けて屋根を貸し、飢えないようにその日の糧を共に分けて食べる、、、などもしてみました。
その頃のパートナーは牧師さんだったので 人に仕える事が神に仕える事
だから
労働基準法とかへったくれもなく
仕えていました
離婚後、行政の勧めで過去の人生経験の活かせる秘密結社的なNPOで、
「カウンセラーとは、、、」
という題名で大学や短大、
保育士専門学校やマスコミ、福祉に携わる種々の団体に呼ばれるままへと全国各地へと回りました。
当時出会った彼も薬物依存症という
病で
若くして(40で)直ぐに亡くなり
依存症業界のカウンセラーの仕事って関わる人や出会う人は
ゆっくり自殺志願者、、、[俗にいう”ゆっくり自殺”
とは、薬物、アルコール、ギャンブル、セックス、借金、買い物などの依存により破綻し生きていく事がどーにもならなくなる]
原因がなんであれゆっくり自殺道まっしぐらな人たちがぼぼぼぼな環境下の仕事は自分には向いてないと思った。
早くに結婚離婚し
20代後半から30代前半生きていくのに
踠いていた頃で 牧師の妻からカウンセラーになろうという安易な考えだった
そんな最中にベリーダンスに出会い、「腹踊りは地球を救う」
とすら思えた。
ベリーで2人の子どもを養って行こうって思ってガムシャラにあちこち動いた
夜中にキャリーひきづってレストランから帰り、次の朝またジム、昼スタジオ、夜ジム、って
ま、もう細かい事を気にせずもう一度
その原点に戻ろうって思う。
最近はベリーダンスを観に来る人と
ステージで踊る人の距離がどんどん縮まり
みんなインストラクターでみんな生徒!みたいな理想郷な世界を実現化したベリーダンス業界made in Japanの文化っていいよなと思う
温泉みたい
人はワントップワンダウンを作るところからエネルギーの腐敗が進む
フラットな人間関係の中でこそ
言いたいことも言えてやりたい事も
やれるはず
会社とかじゃ通用しないといわれたらそれまでだけどね